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2020年07月25日

米カレッジバスケットボールに挑戦・実現するまで道のり   パート2

前回の記事の続編です!

前回は、かろうじて、アメリカの大学に合格できたことまでは紹介しました。その続きから。

⑥アメリカはテネシー州の4年生大学、LEE Universityに編入学が決定。

テネシー州といえば、今話題のWatanabe選手がいるメンフィスグリズリーズがある州です🏀私は、メンフィスの反対側にあるクリーブランドという町に行く運命となりました。

米カレッジバスケットボールに挑戦・実現するまで道のり   パート2

⑦合格してから、LEE大学のバスケチームのコーチ陣にメールを送る。

自分の長所、得意なプレー、カレッジバスケでプレーすることが大きな夢という内容。

その結果、一度も返事は来ませんでした。

はい、そうです。完全にスルーされたわけです。そこはやはりシビアですよね。日本からメール?スルーしとこう!って感じですかね。

⑧渡米後、すぐにコーチに会いに行き、直談判。そこでVarsity team のブラウンコーチに出会う。

ブービー『日本から来たブービーです。メールを送ったのですが見てくださいましたか?』
ブラウンコーチ『メール?うーん。(困っている様子)』

その時、たまたまJunior Varsity のコーチ、サンダースCoachが通りかかり、コーチの部屋に誘導される。そこでサンダースCoachとの面談がスタート。バスケパッションを見せる機会を得る。

⑨カレッジバスケへの夢を、情熱を伝える 

サンダースCoachとの面談。まずは、自己紹介と何が目的でここに来たのか説明を。そして言われたこと、『残念だけど、トライアウトはすでに終了している。それに、君みたいにプレーしたいといってここに来た人は25人くらいいたけど、皆断ったんだ。来シーズンまたトライアウトを受けにきてくれ。』と。

テストを受けて合格しないと、チームに入れない。アメリカスポーツの普通です。しかし、その時の私は、そう言われて、そうか、来年また来よう!という思考ではありませんでした。頭の中は、

『チームに入れてもらうまでは、YESというまでは絶対あきらめない!!!!!帰らない。何か月でも毎日お願いする!』

でした。そこから1時間ぐらいの間、何度も何度もカレッジバスケットボールをプレーすることへの夢や情熱を伝え続けました。次第に、Coachの顔が変化していることに気が付きました。赤くなってきていたんです。怒っているわけではありません。熱意が伝わったのだろうと思います。その時の顔は今も鮮明に覚えています。

1時間ぐらい粘り続けた結果、Coachから、『君の気持ちは分かった。一週間、考えさせてほしい。それからまた話をさせてほしい。今日は来てくれて有難う』と返事が。

⑩一週間後の2回目の面談

この一週間はソワソワしたり、入れなかったらどうしようと不安でした。高3からずっと夢みたカレッジバスケットボールの夢がここで終わってしまうのかとすごく怖くなったんです。同時に、少しの希望を胸に待ち続けました。学内で会うと、こちらのことを気にかけて声もかけてくれました。

それから、暫くしてCoachに呼ばれ再び面談。
今でもハッキリ覚えているCoachの言葉、英語でいきます。

『I have a spot for you. Don't let me down !』
(君の居場所を確保した。がっかりさせるなよ!)


その瞬間、私は号泣。
今思い返しても涙が出てきます。
カレッジバスケットボールへの情熱が伝わり、Coachの心が動いた瞬間でした。

トライアウト無しで、チーム入りを認めてもらうことができた。これは異例の出来事。本当に、神様、仏様、サンダース様、ありがとうございます!という気持ちです。そして、支えてくれて、喜んでくれた家族や友人、知人にも本当に感謝です。Varsity チームではなかったものの、Junior Varsity でバスケットボールをするチャンスを得ることができました。

To be continued.. .

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Posted by 琉球ブービー at 11:15│Comments(0)海外でプレイ
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